朝イチの下鴨神社を後にした一行は、実際は
京都御所へ向かった。
個人的には蛤御門を見たかったので、御所の外周を回って蛤御門があったら写真を撮ろうと軽く考えていた。
すると御所の駐車場の入口こそが蛤御門だった!門を潜ってクルマを駐車し、改めて門へ向かった。
幕末の禁門の変(蛤御門の変)はここを中心に勃発した騒乱。会津藩を中心とした幕府側と長州藩との戦いで、1日で戦いは終わったようだが
戦火は街中に広がり京の町を焼いた。これで貴重な神社仏閣や史料も失われたんだろうな。
その際の弾痕が蛤御門には多数残っていましたよ。
そんな「門」に夢中になっているのは自分だけで、隊員たちは「門」に目もくれず御所の方へ向かいました。
知らなかったけど京都御所は通年で無料公開してるんだとか。「禁裏」へ立ち入ることができるなんて貴重な機会だと、我々も潜入しました。
手荷物検査を受け中へ入ります。日本語ガイドツアーとタイミングが合いましたが、テンポが遅く次のケツがあったのでぶっ千切りました。
順路に従って回ります。御車寄や諸大夫の間を通り、紫宸殿(ししんでん)へやってきました。最も格式の高い正殿で、重要な儀式などが行われ
明治、大正、昭和天皇もここで即位礼をされたようです。明治憲法の基礎になった五箇条の御誓文もここで読み上げられたんですって。
そして御池庭の前にある御学問所は歴史的な場所で、維新前夜の慶応3年12月8日夕方から翌朝まで摂政主催の旧体制で最後の朝議が行われ
長州藩の入京許可や、岩倉具視らの蟄居赦免と還俗が決る。朝議後、公家たちが御所を退出するや、御所の全ての門を封鎖して朝廷首脳を締め出すと
岩倉具視らが御学問所へ参内して、王政復古の大号令を発したのだ。明治の世のはじまりですな〜。
同日夕方、蹴鞠の庭を挟んだ小御所では明治天皇の下、新設の三職をおいた最初の国政会議である小御所会議が行われ、倒幕派と新幕派による
徳川慶喜の処遇についてのやり合いがはじまるのだ。幕末好きは、そんなことに思いを馳せながら御所を見て回ると堪らんだろね。
こうして後になってブログを書くにあたって改めて歴史を学ぶと、ちょうど大河ドラマの内容と重なって面白くなるなぁ〜。
<Canon EOS 6D + EF24-105mm F4L IS USM>
禁門の変の激戦地「蛤御門」
紫宸殿
広大!
内裏へ
手荷物検査
紫宸殿の奥には
清涼殿があり、平安中期から戦国の頃までは天皇の住まいだった所
日常は御座である昼御座(ひのおまし)にいたという
御池庭
小御所
戦国の世以降の天皇の住まい
御常御殿
土産所でもらった御所せんべい